それは何だろう。

おハローございます、今日の2コマ目小試験だとさっき知って必死にベンキョしてるsavag-Eです。

とは言っても単語の暗記だからマンドクセー。

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そろそろタイトルの内容に入りたいと思いますが、世の中には大きく分けて2種類の不幸な人間がいると思う。

一つ、貧乏とか生まれつきどっか不自由だったりとかする人
一つ、上記のようなことはないがくじ運などのいわゆる「生活運」がない人。ある意味いじめもこのカテゴリーに入るかな?

まあ、一応上記のほうは貧乏でもどっか不自由でも本人が不幸と思わなければ不幸じゃないとも言えるが。

後者は前提として本人が自分が不幸であると自覚しているということで話を進める。

結局幸不幸など本人が決めることなんで後者は完全に不幸である。

このようなタイプは完全な第三者的目から見れば確かに不幸である場合が多い。

何しろ大抵取り巻く環境が一筋縄ではいかないのだ。

もう結論を言ってしまったような気もするが・・・・・「不幸」はそれがストレス的側面を持っているが故に、本人の性格/人格を歪めてしまう。
わかりやすく言えば、多額の借金を抱えて支払いが追いつかない人間が人格崩壊したり自殺したりするのはこれに該当するだろう。

まあ、サラ金とかに手を出すのが悪いという人もいるかもしれないが、大抵彼らはそれ以外に選択肢がない場合が多いのだろう。

人生なにが起こるかわからなく、思わぬところで借金が出来てしまう可能性も完全には否定できないからだ。

そして金の切れ目が縁の切れ目というように借金の瞬間周り人間も離れていくので結局頼れるものが消失し、結果サラ金に手を・・・・と。

もちろん浅はかにサラ金に手を出したようなヤツはただの自業自得であるがw

話を戻すが、結局不幸を形作る原因は環境にあり、周りの人間にあると思う。

浅はか過ぎる言動は人を傷付け強くする事も多いが、逆に逆鱗に触れ激しく傷付ける場合もある。
基本的に人間自分本位であるが、社会というものを形成する上で物事・特にに人を観察することが大切だと考える。
まあ、個人的思想ではあるんだが。

もちろんすべての人間が綿密に他人の境遇を分析できるかというとそうもいかないし、現実は全く逆である。

この話を敷き詰めていくと日本の教育云々になるんだが、最終的にはこれは思考レベルの問題というよりモラルの問題に行き着くだろう。
所詮日本の教育なんぞ学歴特化なのだから。

いくら思考レベルが高かろうと、その能力を人間関係の仕組みに回せばモラルも高まるかもしれないが、回さなければその領域にすら踏み込まないのだ。

そもそも十人十色というようにみんなが同じ結論にたどり着くはずもない。

最後に繰り返すがこれは俺個人的な思想であり、強制するものでもないが、俺は一般的に言われるマナーとか礼儀とかすべてに通ずるものだと思っている。

今を生きる人間たちが少しでも「加工無しの真実」を目に映し、行動してくれることを願う。




とまあ、よくわからないようなことを書いてお茶を濁すわけだが。

こんなことしてる間に単語覚えなきゃならないのを思い出したんでこれにて失礼。

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