何にって人生に。
いや、自殺しようとかじゃないんですが・・・・なんか毎日の自分の行動があまりにも噛み合わなすぎて・・・・
ここで断わっておきますがこれ以下は私の苦悩の文章がつづられていますのでそのような文章で不快になるような方は読まないことをお勧めします。
本来私は略奪気質というか・・・・噛み砕いていうと「自分の思い通りにならないと気がすまない人間」もっとわかりやすくいうと「ドラえ○んのジ○イアン的人間」なわけなんですが、一応社会の皮というものをかぶって生きています。
本来の気質がそんななんで現代社会で生きていると何かとストレスを貯め込みやすいのです、日本社会は「譲歩」がなければ成立しませんので。
そんな側面で娯楽として始めたのがMTGなのですがそれが見事に噛み合ってません。
一番初めはコピーデッキという物をしようしていたのですが、いくらどこかで優勝したデッキを使ってみても本人が引いてくるのは空気を読まないものばかりでゲームになりませんでした。
それどころか自分のデザインしたデッキではないので製作者に文句も言えず(どこの誰が作ったのかもわからないですので)精神衛生上良くないのです。
次に自分でデッキをデザインして遊びます。
当時は構築のいろはなど知らないため自由に作りました、もちろん墓地に落とす手段が少ないリアニメイトやドラゴンとマナブーストを大量に入れたドラゴンデッキなども作りました。
引き自体は相変わらずですが自分の考えたとおりに廻ったり機構が働いたりするのは純粋に楽しく、ある程度の構築技術も身につきました。
使ってみたいカードには高額なものがも多く、代用をやめて実物のカードを買うようになったのもこの頃です。
ただし、どんなにお金をかけ強いカードで固めてデッキを作ってもマジックというゲームはどうしようもなく運の要素が絡みます。
例えば土地を引かないだけで簡単に負けてしまいますし、何度マリガンしても望む枚数の土地がえられない時もあるでしょう。
これはごく最近の話なので精神的に私も大人になってきているとはいえ、こんなことばかりではさすがにお金もかかっているので前述のような気質を持っている私は面白くありません。
逆にMTGというゲームに魅力を感じなくなってきます。
それに周りの環境もありました。
MTGの世界では一般的といわれる構築理論やプレイングに関する理論があります。
あくまでトーナメント思考のプレイヤーの形成するコミュニティー上でのものですが、確率論・相手よりも優位に立つ思考(アドバンテージですね)から見れば概ね正しいです。
しかし、この理論・・・・ある意味では思想とも呼べると思いますが、これには「排他的側面」があります。
まあ、要するに理想系以外の理論・方法は否定し、排除するということですね。
要するに私が土地が出ずに終わったり俗に言う「事故」で終わったと言ったしても、彼らには言い訳をしているようにしか見えません。
なぜならば上記の通りコピーデッキを使用したくない私は、「一般理論」からは脱脚しているからです。
脱却しているからには確率上確かに「理想と呼ばれるデッキ」よりは事故の確率も高いですし、廻りも温いかもしれませんが、適正枚数の土地や呪文などのカードを引いていればそれでも全く廻らないということはまずありません。
しかし、彼らにはそんなことは関係ありません。全試合土地が1枚しか出なくても引いたカードが土地15枚でも「構築が悪い」の一言しか言いません。
こう言うのも気が引けるのですが、彼らは本当に目の前の現実を理解した上で物をじゃべっているのか疑問を覚えます。
全試合隅から隅まで見てそれしか言うことがなく、なおかつ事実と違わないのであればそれでも構いませんがそんなことはまずありません。
こういった環境が、さらに私の精神に干渉を与え、ストレスとして私に蓄積されます。(今はそれほどありませんが)
こんな状態では最終的に許容量を超えてしまうので、所々で発散するようにはしますが、それをしてしまえば最終的には敬遠されます。
3試合に一回くらい「ムカつく」などと騒ぐ人を好ましく思う人もあまりいないでしょう。
おそらく現在の私はこの段階の1歩手前に存在します。
本当に私はMTGという「世界」とは相性が悪いのかもしれません。
娯楽にもならないのでは本当にやる意味がないのです。(お金をかけなければそうでもありませんが、使用カードが制限された環境下では
構築・プレイの楽しさ<<社会のしがらみ+事故による追加のストレス
であるのでやはりやる意義がありません)
本当に足を洗うか本気で考えています。
いや、自殺しようとかじゃないんですが・・・・なんか毎日の自分の行動があまりにも噛み合わなすぎて・・・・
ここで断わっておきますがこれ以下は私の苦悩の文章がつづられていますのでそのような文章で不快になるような方は読まないことをお勧めします。
本来私は略奪気質というか・・・・噛み砕いていうと「自分の思い通りにならないと気がすまない人間」もっとわかりやすくいうと「ドラえ○んのジ○イアン的人間」なわけなんですが、一応社会の皮というものをかぶって生きています。
本来の気質がそんななんで現代社会で生きていると何かとストレスを貯め込みやすいのです、日本社会は「譲歩」がなければ成立しませんので。
そんな側面で娯楽として始めたのがMTGなのですがそれが見事に噛み合ってません。
一番初めはコピーデッキという物をしようしていたのですが、いくらどこかで優勝したデッキを使ってみても本人が引いてくるのは空気を読まないものばかりでゲームになりませんでした。
それどころか自分のデザインしたデッキではないので製作者に文句も言えず(どこの誰が作ったのかもわからないですので)精神衛生上良くないのです。
次に自分でデッキをデザインして遊びます。
当時は構築のいろはなど知らないため自由に作りました、もちろん墓地に落とす手段が少ないリアニメイトやドラゴンとマナブーストを大量に入れたドラゴンデッキなども作りました。
引き自体は相変わらずですが自分の考えたとおりに廻ったり機構が働いたりするのは純粋に楽しく、ある程度の構築技術も身につきました。
使ってみたいカードには高額なものがも多く、代用をやめて実物のカードを買うようになったのもこの頃です。
ただし、どんなにお金をかけ強いカードで固めてデッキを作ってもマジックというゲームはどうしようもなく運の要素が絡みます。
例えば土地を引かないだけで簡単に負けてしまいますし、何度マリガンしても望む枚数の土地がえられない時もあるでしょう。
これはごく最近の話なので精神的に私も大人になってきているとはいえ、こんなことばかりではさすがにお金もかかっているので前述のような気質を持っている私は面白くありません。
逆にMTGというゲームに魅力を感じなくなってきます。
それに周りの環境もありました。
MTGの世界では一般的といわれる構築理論やプレイングに関する理論があります。
あくまでトーナメント思考のプレイヤーの形成するコミュニティー上でのものですが、確率論・相手よりも優位に立つ思考(アドバンテージですね)から見れば概ね正しいです。
しかし、この理論・・・・ある意味では思想とも呼べると思いますが、これには「排他的側面」があります。
まあ、要するに理想系以外の理論・方法は否定し、排除するということですね。
要するに私が土地が出ずに終わったり俗に言う「事故」で終わったと言ったしても、彼らには言い訳をしているようにしか見えません。
なぜならば上記の通りコピーデッキを使用したくない私は、「一般理論」からは脱脚しているからです。
脱却しているからには確率上確かに「理想と呼ばれるデッキ」よりは事故の確率も高いですし、廻りも温いかもしれませんが、適正枚数の土地や呪文などのカードを引いていればそれでも全く廻らないということはまずありません。
しかし、彼らにはそんなことは関係ありません。全試合土地が1枚しか出なくても引いたカードが土地15枚でも「構築が悪い」の一言しか言いません。
こう言うのも気が引けるのですが、彼らは本当に目の前の現実を理解した上で物をじゃべっているのか疑問を覚えます。
全試合隅から隅まで見てそれしか言うことがなく、なおかつ事実と違わないのであればそれでも構いませんがそんなことはまずありません。
こういった環境が、さらに私の精神に干渉を与え、ストレスとして私に蓄積されます。(今はそれほどありませんが)
こんな状態では最終的に許容量を超えてしまうので、所々で発散するようにはしますが、それをしてしまえば最終的には敬遠されます。
3試合に一回くらい「ムカつく」などと騒ぐ人を好ましく思う人もあまりいないでしょう。
おそらく現在の私はこの段階の1歩手前に存在します。
本当に私はMTGという「世界」とは相性が悪いのかもしれません。
娯楽にもならないのでは本当にやる意味がないのです。(お金をかけなければそうでもありませんが、使用カードが制限された環境下では
構築・プレイの楽しさ<<社会のしがらみ+事故による追加のストレス
であるのでやはりやる意義がありません)
本当に足を洗うか本気で考えています。
コメント
気分が楽になります。経験者より。