前々から思ってたんだけどやっぱり自分を抑圧した人生はつまらない。

昔から破天荒といわれ続けた性格の俺だが、同じ高校に妹が入ってきてから急におとなしくなってしまった。
もちろん意図してのことである。

俺は基本的に自分で取った行動の責任は自分で取る。というか責任を人に任せるなんてもっての他である。
とはいっても本当にどうでもいいことは例外的に人に押し付けたりするがwww(NHKの集金を断わらせるとかwww)

そんなわけで自分の取った行動で自分が迷惑をこうむるのは許せる、というか口ほどに苦痛すら感じないのであるが、それによって人に迷惑がかかるのはやはりいただけないのだ。
これは俺の行動原理・優先順位のTOPに位置する。
つまり、自分のケツは自分で拭くのが俺の性格なのだ。

じゃあボランティアとかはしないのかという話なのであるが、そんなものは別な勘定が入るので性格だけではひとえに騙れないだろう。よって今回は除外。

話を元に戻すが、要するに俺が学校とかで馬鹿やって噂になるのは構わないけど妹がそれに巻き込まれるのが気に入らなかったのである。
家族にしたってそうである。

元をたどればすべて自分のわがまま(というか社会風潮?)に返って来るのだが、よって俺は自分を抑圧して生きている。

抑圧状態では何もかにもつまらない。
一般的に言えば俺の精神は未だ子供であり、少なくとも日本という社会の中では明らかに不適合である。
さらにわかりやすく言えば俺はエゴの塊である。
自分がこのような人間であることは一切後悔もしないし不満もないが、それはこの国に生まれ出でた不幸といえると思う。

もちろん今の親の元に生まれたことを不満に思うわけではない。今話しているのはそういう類のことではないのだ。

まあ、以上のことを要約すると俺は今の社会には不適合だと言うことだ。
社会で生きることは大変だと人は言うが実際その通りである。
大体の人は程度は自分のものしかわからないが自己を抑圧して生きているのであろう。
適応するのも重要であるがそれは種類によると思う。

社会を形成する上で重要なのは平均化ではなく、他人のことをどれだけ考えれるかだと思うのだ。
それさえ頭においておけば個性をどれだけ発揮しようと構わない、もともと抑圧されるべき対象ではないのだ。

結論は少々ずれてしまうが、世間的に言えば利便化と幸せは必ずしもイコールとならないのである。自分の頭で考えることが重要だ。

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